Anti-doping/アンチ・ドーピング

2022/04/25Anti-doping/アンチ・ドーピング

ワリエワ選手CAS仲裁判断を考える〔CAS OG22/08〜10〕

ワリエワ選手のドーピング事案に関するCASの仲裁判断が公開されましたので、検討してみました。

事案

当事者は、申立人がIOC、WADA(世界アンチ・ドーピング機構)および国際スケート連盟(ISU)です。
相手方は、ワリエワ選手のほか、RUSADA(ロシア・アンチ・ドーピング機構)およびROC(ロシア・オリンピック委員会)です。

2021年12月25日
ロシアフィギュアスケート選手権2021においてワリエワ選手がドーピング検査の対象となり、検体が採取されました。

2021年12月29日
ストックホルムの検査機関が検体を受理しました。

2022年2月7日
ワリエワ選手は、北京オリンピックのフィギュアスケート団体戦に出場しました。
同日、ワリエワ選手の検体を分析したストックホルムの検査機関より、禁止物質トリメタジジン(非特定物質)の存在について違反が疑われる分析報告(AAF)をされました。AAFには、報告が遅延した理由としてCOVID-19の大流行により検査機関が人員不足に陥ったことによるものと説明が付されていました。
なお、AAFによれば、検出されたトリメタジジンの濃度は、2.1ng/mL1でした。

2022年2月8日
RUSADAは、ワリエワ選手に対し、アンチ・ドーピング規程に従って、強制的な暫定的資格停止処分となることを通知しました。

2022年2月9日
ワリエワ選手は、異議を申し立て、RUSADAのDisciplinary Anti-Doping Committee(DADC)に対して聴聞会の開催を要請しました。同日、DADCによる聴聞が実施され、その結果、DADCはワリエワ選手に対する暫定的資格停止処分の解除を決定しました。RUSADAによれば、DADCはRUSADAから独立した組織との説明です。

このDADCの決定に対して、WADA・IOC・ISUがCASアドホック部に不服を申立てたのが本件です。つまり、本件は終局的な判断が出るまでの間、ワリエワ選手に暫定的な資格停止処分を課すか否かが争点となりました。

DADCの決定

仲裁判断の中でDADCの決定内容がまとめられていました。

WADA規程(WADC)及びロシア・アンチ・ドーピング規程(RADR)によれば、強制的な暫定的資格停止処分の解除をするための要件として、違反が疑われる分析結果は「汚染製品」による可能性が高いことをアスリート側が立証することが求められています。

ワリエワ選手は、規程に沿って「汚染製品」を中心に、大要、次の主張立証をしています。

  • トリメタジジンを意図的に摂取しておらず、おじいちゃんが心臓出術後にトリメタジジンを使用し、普段から持ち歩いており、そのおじいちゃんと家庭内で交流した結果、禁止物質が入った可能性が高いこと
  • 母親によれば、おじいちゃんが定期的にワリエワ選手をトレーニングに車で送迎しており、トレーニング中はトレーニングセンターで待っており、お昼休みにはワリエワ選手に付き添っていた旨の証言
  • おじいちゃんが「トリメタジンMV」のパッケージを車に積んでいる様子を写したおじいちゃん作成のビデオ
  • ワリエワ選手のドーピング検査履歴(2021年12月25日以外)について、2019年8月24日から2022年2月7日まで、2021年10月30日、2021年1月13日及び2022年2月7日と複数回ドーピング検査を受け、その検体は全て陰性であった

  • 医療専門家Z氏の証言
    トリメタジジンは処方箋が必要で、治療効果を得るには定期的な摂取が必要となること
    子供への使用は禁じられており、めまいや錐体外路障害などの副作用があり、フィギュアスケートのようなスポーツには有害な物質であること
    汚染による摂取の可能性は考えられること等

  • 医学専門家B氏の証言
    ポーランドのアスリートのトリメタジジンの使用に関する研究論文から、35mgのTMZを1回使用すると、1日後のサンプル中の濃度が966ng/ml〜9000ng/mlになること、2ng/mlの濃度を得るには、競技の最低5~7日前に35mgを1回使用する必要があること

DADC は、ドーピング違反手続におけるアスリートの立証は「証拠の優越」(Balance of probability)とされているが、「要保護者」(Protected Person)にあたるワリエワ選手の場合、より低い証明基準が適用されるとし、合理的な可能性以上証拠の優越以下で証明されていればよいとしました。

そして、上記主張立証を前提に、DADCは、「汚染製品」の可能性が高いことを証明できたとして、暫定的資格停止処分の解除を認めました。

ところで、WADC(RADR)では「汚染製品」(Contaminated Product)を次のように定義しています。

A product that contains a Prohibited Substance that is not disclosed on the product label or in information available in a reasonable Internet search.
製品ラベル又は合理的なインターネット上の検索により入手可能な情報において開示されていない禁止物質 を含む製品をいう

また、WADC10.6.1.2では、次のように解説されています。

This Article should not be extended beyond products that have gone through some process of manufacturing. Where an Adverse Analytical Finding results from environment contamination of a non-productsuch as tap water or lake water in circumstances where no reasonable person would expect any risk of an anti-doping rule violation, typically there would be No Fault or Negligence under Article 10.5.

本項は、何らかの製造過程を経た製品以外にまで適用されるべきではない。違反が疑われる分析報告が、 合理的な人がアンチ・ドーピング規則違反のリスクを予期しない状況における水道水や池の水などの「非製品」の環境汚染の結果である場合には、通常は、第 10.5 項に基づき、過誤又は過失は存在しない。

ワリエワ選手が主張するおじいちゃんの薬を誤って摂取したという場合は、アンチ・ドーピング規程にいう「汚染製品」ではないということになります。

なお、ワリエワ選手は、トリメタジジンの検出の技術的限界が10ng/mLであるのに2.1ng/mLが検出されたのは分析機関の技術的ミスである可能性がある旨主張しています。もっとも、分析に関する異議が成功するためには、WADAが定める国際基準からの乖離を証明する必要があるなどかなりハードルが高く、本件では争点になっていません。

CASにおける当事者の主張

検査機関側はメインとなるのはWADAですので、WADAの主張を要約します。DADCが強制的な暫定的資格停止処分の解除要件を認めたことから、ワリエワ選手の主張が「汚染製品」に該当しないということが反論の要点になっています。

  • 強制的な暫定的資格停止を解除するために適用される規程上の根拠は、汚染製品による可能性が高いことを証明する場合のみである。
  • WADCにおいて強制的な暫定的資格停止の解除が制限されている根本的な理由は「非特定物質(トリメタジジン)の検査で陽性となった選手が最終的な決定を受けるまでの間に競技に参加することを認めると、その競技のスポーツ・インテグリティに悪影響を及ぼす危険性がある」ためである。
  • ワリエワ選手の主張は汚染製品に関するものではなく、それ自体で、強制的な暫定的資格停止を解除する理由がないといえる。
  • ワリエワ選手の説明では、トリメタジジンを成分として含む医薬品に何らかの形で接触しているとのことであるが、選手がドーピング・コントロール・フォームにおいて服用を申告したL-カルニチン、スプラジン及びハイポキセン4の製品のいずれかが汚染製品であることを主張立証していない。
  • したがって、ワリエワ選手選手は、強制的な暫定的資格停止処分を解除する基準を満たしていない。

ワリエワ選手の主張は、基本的にDADCでした主張のとおりですが、特に要保護者であることを強く主張し、検査結果の遅れが選手の責めに帰さず、最終結論が出ないうちに暫定的資格停止にすることは回復不可能な損害を選手に与えることになることなどを主張しています。

パネルの判断

1) 要保護者と強制的な暫定的資格停止処分

パネルは、DADCの決定(おじいちゃんの薬への接触と汚染製品の解釈)を審査する方法はとらずに、WADC・RADRにおいて要保護者がその年齢からくる未熟さ故に特別に保護されていることを各規程の条文(定義規定と10か条)を挙げて説明しています。

例えば、非特定物質によるドーピング違反の制裁について、アスリートが重大な過誤・過失がないことを立証できた場合、要保護者でないアスリートについては資格停止期間が最大でも半減されるにとどまりますが、要保護者については「資格停止期間のないけん責〜2年間の資格停止処分」と軽減されています。

10.6.1.3 Protected Persons or Recreational Athletes

Where the anti-doping rule violation not involving a Substance of Abuse is committed by a Protected Person or Recreational Athlete, and the Protected Person or Recreational Athlete can establish No Significant Fault or Negligence, then the period of Ineligibility shall be, at a minimum, a reprimand and no period of Ineligibility, and at a maximum, two (2) years Ineligibility, depending on the Protected Person or Recreational Athlete’s degree of Fault.

10.6.1.3 要保護者 又はレクリエーション競技者

濫用物質に関連しないアンチ・ドーピング規則違反が要保護者 又はレクリエーション競技者 により行われた場合であって、要保護 者又はレクリエーション競技者が「重大な過誤又 は過失がないこと」を立証することができたときは、資格停止期間は、要保護者又はレクリエーション競技者の過誤の程度により、最短で資格停止期間を伴わない譴責とし、最長で 2 年間とする。

また、パネルは、立証面でも要保護者が特別扱いされている例として、重大な過誤・過失の立証については要保護者でないアスリートについては禁止物質がどのように体内に入ったかの立証が要求されますが、要保護者についてはそうした立証は要求されていないことなども挙げています。

パネルは、アンチ・ドーピング規程各所で要保護者を特別扱いしているが、暫定的資格停止処分の規定に関しては要保護者について沈黙している(silent)と判断しました。そのうえで、要保護者が重大な過誤・過失がないことを証明した場合、最終的な処分が「資格停止期間のないけん責〜2年間の資格停止処分」となるが、これは要保護者でないアスリートが特定物質にてドーピング違反となった場合と同じ処分内容であること、この場合の要保護者でないアスリートには強制的な暫定的資格停止処分が課されず、任意的に暫定的資格停止処分が課されるルールであることを指摘して、要保護者が取扱いが厳しい過ぎると指摘しています2。これは起草者であるWADAが意図しなかったルールのギャップないし欠缺であると評価しています。

この点、証拠上、WADAのWADC2021起草委員会では、暫定的資格停止処分の場面における要保護者の問題及び要保護者に関する暫定的資格停止処分について基準を変更すべきか否かが検討されていなかったことを認定しています。

パネルは、CAS2006/A/10253の仲裁判断を引用して、こうしたルールのギャップや欠缺を埋める権限があると述べ、これは新しいルールを作るのではなく、規程の解釈であるとしています。こうして、パネルは、WADCの欠缺を埋めるため、本事案には任意的な暫定的資格停止処分の規定を適用すると決定しました。

2) 任意的な暫定的資格停止処分を課すか否か

WADC・RADRは具体的な基準が示されていませんが、CASの先例及びCASの仲裁規則R37(アドホック規則14)から、任意的資格停止処分を課さないという救済措置の是非について、(i)その措置がワリエワ選手を回復不能な損害から保護するために必要かどうか、(ii)ワリエワ選手の主張が成功する可能性、(iii)ワリエワ選手の利益がWADA等の利益を上回るかどうか、を検討しています。

(i)について、パネルは、CASの先例から、主要な競技大会であるオリンピックに参加できないことは回復不能な損害を与える可能性があると認定しています。
理由として、検体分析の遅れについて、オリンピック中に採取された検体が本件の聴聞会までに報告されており、コロナ禍で遅れたことを理由とするには説得力がないこと、その遅れのためにワリエワ選手を困難な状況に直面させたことについ選手には過失がないこと、女子シングルの試合が直前に迫っており、その出場は唯一無二の経験となり、改めて提供することはできことなどを挙げています。

(ii)について、パネルは、本件のような短い手続では、ワリエワ選手の主張を掘り下げて評価することができないとしつつ、現段階では暫定的資格停止処分が解除される可能性が排除できないことをもって、これを満たすとしました。

(iii)について、パネルは、①暫定的資格停止処分が課された場合、ワリエワ選手が最終的な処分として資格停止処分のないけん責または資格停止期間が大幅に短縮されたときは、ワリエワ選手は(出場できたはずなのに)オリンピックに出場する機会を失うこととなること、②他方、ワリエワ選手がオリンピックに出場したうえで最終的な処分としてオリンピックに出場できない処分(長期の資格停止処分)を課された場合には、その成績やメダルは剥奪されることになること、①と②とを比較すると、オリンピックに出場する機会は他に代えがたいものであり、ワリエワ選手が要保護者であることにも鑑みて、この利害のバランスはワリエワ選手に有利に働くことになるとしました。また、暫定的資格停止処分を課した場合、ワリエワ選手には回復不能な損害(オリンピックに出場できない)が生じるのに対し、暫定的資格停止処分を解除した場合、WADA等及びワリエワ選手には回復不能な損害が生じない(成績やメダル等を剥奪できる)としています。

こうした理由から、パネルは、ワリエワ選手の暫定的資格停止処分を解除するのが相当と結論づけました。

最後に、パネルは、2つのパラグラフにわたって付言をしています。問題となった検体分析の関係者に向けて苦言を呈するもので、初期のCAS裁定中の言葉が引用されています。

The fight against doping is arduous, and it may require strict rules. But the rule-makers and the rule-appliers must begin by being strict with themselves. Regulations that may affect the careers of dedicated athletes must be predictable.CAS 94/129, para. 34.

このことは、次のやりとりによく表れていると思います。WADAは、分析機関に関する国際基準において、分析機関は検体受領後A検体の結果を20日以内に報告しなければならないとされているのは、分析機関に対する推奨であり、ワリエワ選手のケースのように40日かかるケースはよくあることと主張しました。これに対し、パネルは、アスリートに厳しい責任を課す一方で、報告の遅れからアスリートを保護するための期限を単なる推奨と主張することは憂慮すべきことである、と指摘しています。

考察

1)  ルールの欠缺とパネルによる補填

選手側もWADA側も当事者は、DADCのした「汚染製品」の該当性が問題になると考えていたと思われますが、パネルは、この点を問題とせず、WADC・RADRの要保護者と強制的な暫定的資格停止処分のルールを問題にしています。当事者にとっては不意打ちのような感じですが、ルールの適用や解釈はCASパネルの権限とされています。

WADAは、このCASの仲裁判断に対して、ルールの書き換えであり、危険な先例である、とコメントを出しています4

WADC・RADRの強制的な暫定的資格停止処分の規定を普通に読めば、要保護者も例外なく対象となると読めます。WADAによれば、強制的な暫定的資格停止処分は、スポーツのインテグリティ保護のため、最終的な結論が出るまで競技に参加させない趣旨であるとしています。

パネルの問題意識は、暫定的資格停止以外の部分では要保護者を特別に扱っているのに、暫定的資格停止については要保護者について特別な扱いがなされていないという点から出発します。そして、パネルは、制裁の面で要保護者と同じ結果になる要保護者でないアスリートには、強制的な暫定的資格停止処分が課されないのに対し、要保護者には強制的な暫定的資格停止が課され、要保護者に厳しすぎ内容になっていると述べています。WADAは禁止物質の性質に従って、強制的な暫定的資格停止処分か任意的な暫定的資格停止処分かを区別していますが、パネルは最終処分の帰趨に着目し、非特定物質による違反の場合に要保護者に強制的な暫定的資格停止処分が課されることが、要保護者でないアスリートと比して厳しくなっていることを指摘しています。

具体的には、要保護者に暫定的資格停止処分を課した場合、最終処分が出るまで暫定的な資格停止となります。そして、最終処分に至る審理が長引けば、最終処分(資格停止期間のないけん責〜2年間資格停止)よりも暫定的資格停止期間の方が長くなるおそれがあります。例えば、要保護者に暫定的資格停止処分が課されて後、審理に1年かかかったとして、最終処分が6か月の資格停止処分となったとすると、暫定的資格停止処分の方が長くなり、最終処分よりも重くなってしまうことをパネルは要保護者に厳しすぎるとしています。他の点では要保護者を特別扱いしていることとも整合していないということだと思います。

このパネルの上記のようなルール上の問題点の指摘は、ルールのあり方として傾聴に値すべきように思います。しかしながら、そうした問題点の存在によってルールの書き換えのような結論まで踏み込むことが許容されるかが問題となります。

パネルがルールの欠缺を埋める権限を有するとして引用するCAS2006/A/1025のケースは、事案に比して制裁が極めて不均衡な事案(脚注[3]参照)で、パネルはかなりのレアケースであることを協調していました。
これに対し、本件の事案は、仲裁に至る事情はレアケース(WADAの主張ではレアケースではない)かもしれませんが、パネルが提示している問題は、要保護者一般の問題であり、本件が通常の時間的スパン(北京オリンピック前)で扱われた場合でも要保護者にとって強制的な暫定的資格停止処分が厳しすぎるということは問題になったものと思われます。その意味では、CAS2006/A/1025ケースの極めて例外的な事案とは異なるように思われます。

過去のCASの先例でルールの欠缺が問題となった事案がいくつかありました。

CAS2008/A/1744のケースは、ドーピング違反の事案で資格停止処分期間を遡及的に開始する場合、既に獲得した成績は執行するかが問題となった事案で、IFの規則に欠缺があるとして、アスリートに有利に思われるIFの規定を適用せず、公正の観点から、遡及的に資格停止処分が開始した以降に獲得した成績を失効するとしました。

CAS2011/A/2452のケースでは、「資格停止処分を受けた会員(Member)とのスポーツ関係の維持の禁止」に抵触したとしてIFが傘下のNFや個人を懲戒処分した事案で、「会員(Member)」は「NF」を意味することがルール上明確にされたいたのに対して、処分を行ったIFが、ルールの欠缺を主張し、「会員(Member)」は目的的解釈から個人を含むと解釈すべきとしました。これに対してパネルは、こうした解釈は罪刑法定主義に反するとしてIFの主張を排斥しています。

さらに、孫楊選手の第一次CAS裁定(CAS2019/A/6148)において、パネルは、孫楊選手の2度目のドーピング違反を認定し、当時のWADC(2015)で資格停止期間が8年となるところ、事案に比して厳しすぎると述べていますが、ルールの欠缺を問題とせず、ルールどおり8年の資格停止を課しています。

上記見たとおり、先例を見ても、CASのパネルがルールの欠缺を埋めることができる場合がどのような場合かは明確ではありません。本件では、引用したCAS2006/A/1025の同ケースに比して、ルールの欠缺の補填について簡単な理由付けしかしていません。仲裁判断全体のロジックの中で、この部分は薄いと感じる部分でした。そうしたことも相まって、極めて例外的な事案における救済のためにルールの欠缺の補填というよりも、このケースを機にWADCの問題点を是正したというよう印象が残ります。

2) CAS2020/O/6689仲裁判断との関係

本件の仲裁判断の中で、オリンピックに参加できないことがワリエワ選手にとって回復不能な損害にあたるとしています。しかしながら、本件で問題となった検体分析の結果がオリンピックの前に報告されていた場合、ワリエワ選手は北京オリンピックに参加できなかった可能性があるのではないかと思われます。
ロシアのオリンピック等の参加を禁止したCAS2020/O/6689のケースで、ロシアのアスリートがオリンピック等に参加する条件の一つに次のようなものがあります。

The Athlete/Athlete Support Personnel shall not be subject to suspension, restriction, condition or exclusion imposed by a competent authority in any past or future proceedings which remains in force at the time of the specified event.(アスリート/サポートスタッフは、指定されたイベントの時点で有効な過去または将来の手続きにおいて、管轄当局によって課される停止、制限、条件、または除外の対象となっていないこと)

もっとも、WADAはこの点については主張していないようで、この条件については考慮されていないように思われます。

3) 回復不能な損害

手続上、やむを得ないことかもしれませんが、本件ではオリンピックに参加できないことがワリエワ選手の回復不能な損害と評価されています。この事案が生じたために、オリンピックの舞台で表彰台に登れないことも他に代替できないことから回復不能な損害のように思います。ドーピング違反を行っていない真面目な選手たちの利益も考える必要があるように思います。

4) さいごに

ところで、本件の仲裁人の一人であるMr. Jeffrey Bentzが パネル長を務めた北京CASアドホック部のOG22/05事案(代表選考問題)のパネルは、次のとおり付言をしてます。

Sympathy is no reason for overlooking unambiguous and properly adopted rules as written or for ignoring qualifying criteria to which all athletes in a sport are subject.(同情は、明確かつ適切に採用されたルールを見過ごしたり、すべてのアスリートが従うべき資格基準を無視する理由にはならない)

本件は「同情」を超えた回復不能な損害があるという判断であろうと思われます。

今後、ワリエワ選手の最終処分がどうなかるか注目されるところですが、まず、RUSADAで結論が出て、不服があれば、CASに上訴されることになります。最終的な結論が確定するまで、時間を要するものと思われます。
本件は、北京オリンピック参加中に、北京オリンピック前の大会で実施されたドーピング検査の結果が判明したという、通常は想定できないような事態であったことは確かです。こうした事情により最も影響を受けたのは、ワリエワ選手本人だと思います。

本件のパネルが指摘するように、アンチ・ドーピングのルールを作り、ドーピングを規制をする関係各所が連携して、ワリエワ選手が置かれたような厳しい状況を作り出さないようにしなければなりません。アスリート・ファーストという言葉は、安易かつ便利に用いられすぎて好きではありませんが、こういう場面を作らないことこそが、アスリート・ファーストではないかと考えます。

弁護士 大橋卓生

《参照》
[1] 1ng = 1-10g(10億分の1グラム)
[2]要保護者でないアスリートと要保護者について、暫定的資格停止処分と最終処分の関係を下表のとおり整理しました。



[3] 報道でも取り沙汰された、プロテニス選手が妻の心臓薬を誤った飲んだ事案。当時のWADC(2003)では、1回目の違反で2年、2回目の違反で永久資格停止とされていました。この選手は、この事案で2回目の違反になりますが「重大な過誤・過失がないこと」が認められ、ルール上、永久資格は8年の資格停止に減刑されることになります。しかしながら、選手は、8年資格停止処分は重すぎると反論しました。この選手は、1回目の違反においても「重大な過誤・過失がないこと」が認められ、9か月の資格停止処分に減刑されています。2回目で8年の資格停止は、選手生命からいって、永久資格停止と変わらないと主張していますた。パネルは、1回目の違反が9月の資格停止に過ぎなかったこと、2回目の違反が8年となることは永久資格停止と変わらないことを前提に「重大な過誤・過失がないこと」が認めらなかった本事案で8年の資格停止は違反行為と比例していないとして、WADCの欠缺を埋め、2年の資格停止処分を課しています。
[4] https://www.insidethegames.biz/articles/1119452/wada-response-cas-valieva-case-doping(最終閲覧:2022年4月25日)

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